37年前(昭和45年)の今日11月25日は、東京市谷の陸上自衛隊東部方面総監部で三島由紀夫が割腹した日だ。あの日のことはハッキリ憶えている。

社会人になったばかりで豊島区の会社にゼロックスの設置に立ち会っていたが、その時、ふと窓から見た空と雲が今でも目に浮かぶ。少し風があったような気がするが、小春日和のような日だった。
ちょうどその頃、三島が自衛隊員を前にして檄文を読み、聞き入れられず楯の会会員の森田必勝と自害したのだ。
紀伊国屋ホールで丸山明宏(美輪明宏)の「よいとまけの歌」コンサートで、三島さんは後ろの列に奥さんと来られていたが、ボディビルで鍛えていたというには小さな方だった。
銀座で、三島さんデザインとかいう制服に身を固めた楯も会会員が歩いているのを見たが、あの制服は浮いていたと思う。日田高の同級生が楯の会に入会を申し込んだら、森田必勝が電話に出て断られたとかいうこともあった。
大学の頃、三島と石原慎太郎の対談を読んだが、「ここに日本刀がある。貴様をぶった切ってやろうか」と石原に詰め寄っていたところは記憶に残っている。石原さんもまだ太陽族だったのだろう。
(三島の檄文の一部)
われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずにして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。