李朝 空白の500年
日本帝国主義による残虐な統治が続いた台湾?
自ら血を流して東亜民族を解放
未曾有の言語崩壊
男系重視と矛盾する「女性宮家」
人間は自由と独立を守るためには戦います。
東京裁判と日本国憲法 西村眞悟
古今無双の英雄 飄悍決死の士
青山繁晴『ぼくらの祖国』
「軍国主義」という言葉を入れるぐらいなら帰る
(以下、宮崎正弘さんの国際ニュース早読み4月19日から)
(読者の声5)反米嫌韓と従来の保守メディアのタブーを斬りまくって来た「チャンネル桜」、呉善花女史の『日韓文化比較』シリーズは秀作だった。
プラスチック食器を出す高級料理店から若者の整形ブームやキリスト教流行と続いた後の
結論は李氏朝鮮時代の「空白の500年」である。目から鱗であった。
朝鮮半島は百済や任那など三国時代以来高度な仏教文明を創ってきたが高句麗や統一新羅・高麗時代に誇った高い精神性は李氏朝鮮時代に儒教の修士学を国家の基礎に於いて以来激変した。
恥ずかしながら私は韓国も日本と同じ様に仏教国家と思っていたのだが、李氏朝鮮時代に仏教の大弾圧があり精神性を軽んじた政治的国家に成り下がってしまったのだ。なるほど、百済寺や高麗橋などは聞くが朝鮮と言えば人参くらいしか思い当たらない。今日の北朝鮮とは李氏朝鮮そのものであり、国の全てが国王に集約される儒教修士学は異論を許さず独裁者を求めるのだそうだ。韓国でのキリスト教の流行も国王無き儒教国家の精神性空白を満たす代替なのだ。
朝鮮半島で仏教大弾圧があった同時期に仏教国家日本はかつての師である百済同様に芸術や製造業が発展しただけでなく、庶民にまでその教えを広めて独自の発展をして益々栄えた。
江戸時代に寺小屋で読み書きが教えられた結果、当時の日本は世界一の識字率を誇ったが仏教を弾圧した朝鮮半島人々の98パーセントは文盲であったのは偶然ではない。形式を重んじる権威主義世界観の朝鮮と自由闊達な町人文化を咲かせた江戸期の日本は高麗国崩壊と共に兄弟国ではなくなり極めて異質な存在となったのであり、昨今の韓流ブームは日韓理解を深めるどころか誤解をさらに広げる事になっている。
もちろん「劇薬」である儒教は日本にも入り国体観や国家神道など政治思想に影響を与えてはいるが随分と薄められている。
明治時代は江戸仏教文化の延長線上にあると言える。国家など政治も大切ではあるがそれを超えたもの目に見えないものを信じない価値観はオゾマシイ。儒教思想の上にマルクス主義が重なれば世界最強の独裁思想となる。
呉善花女史は「空白の五百年は恐ろしいものがある」と言われたが、同時にもしも韓国が高麗時代に帰れば「ルネサンスが起こる」と空虚な近代的な物質文明国韓国の分析と精神の伴った韓国発展への処方箋を書いているが一体聞く耳を持つ韓国人はいるのか。
例えば韓国に禅宗などが復活する事はあるのか。
嗚呼、私は想像する。フリーメーソンのルーピー鳩山は「東アジア共同体」を説きはするが根底に置く価値観が何も無い。
だが、もしも日本が儒教的マルクス主義国家中共や北朝鮮との冷戦に決着をつけるなら仏教を持って思想戦の基礎としなければならない。
その為にはまず日本仏教界は立ち上がり反仏教国の韓国を仏教国に戻す事が必要ではないか。韓国が百済・高麗時代に戻る時に真の日韓理解が出来る。そして、もし東アジアで冷戦が終わり真に共同体が出現するとすれば東アジア仏教共同体となる。
そんな想像をしていると呉善花女史が高麗人の生き残りに見えて来た。日本国籍を取られた女史は実は日本の中に失われた高麗や百済を見出しているのだろう。
だからこそ家に仏壇や神棚を設けて毎日拝む事によって「自由になれた」のだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=0MiOz73Bsv0&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg&index=17&feature=plcp
(道楽Q)
(宮崎正弘のコメント)先週もある勉強会の席で、韓国の基督教の伝染病のような布教の成功に関して、御指摘されたような分析が話題となりました。
しかし、小生はもう一つの裏側の事情を指摘したのですが、それは米国とのコネ、あるいは米国への移民に便利だから韓国人は簡単に基督教になるのです。現に在米韓国系アメリカ人と韓国移民は二百万人以上ですが、無差別発砲事件をおこしたりするのも韓国系なら、国連事務総長、そしてついには世銀総裁のポストにのぼりつけた出世頭らも韓国系です。
呉女史も最初はアメリカへ渡るつもりで、腰掛けで日本にきたら、日本にすっかり魅せられた経過を、著作のなかで正直に書いていますよ。
(転載おわり)
慶州の仏国寺の低い土の塀に、何か懐かしいものを感じるのもそういうことでしょうか。石平さんも京都嵐山で、漢詩にあるような懐かしいものを感じたと言っていましたが、日本には大陸や半島ではとっくに失われってしまった東洋文明の粋が生きているにかもしれません。
先日、宇佐八幡社に参拝してきましたが、宇佐に現れた童子が「我は八幡大神であり八幡大菩薩である」と唱えたそうです。神道と渡来の仏教が争っていたときに神仏習合の考え方を示したのですが、
宇佐八幡は帰化系ですから、当時、半島から渡ってきた人達の思考の柔軟性がうかがえます。
呉善花さんがいうように、空白の500年には恐ろしいものがあるのかもしれません。
樋泉克夫のコラムの【知道中国 733回】『毛主席的五篇哲学著作中的歴史事件和人物簡介』(人民出版社 1972年)のなかに、日本の台湾統治に関する部分が面白かったので紹介すると・・・
■日清戦争(1894年)
「1895年に占領されてから1945年に中国に還るまでの
日本帝国主義による残虐な統治が続いた期間、台湾同胞は祖国の懐に還るべく闘争を間断なく続けた。
彼らは英雄的で不撓不屈であり、
倒されても倒されても闘争を止めず、日本帝国主義占領者に対し涙なくしては語れないような戦いを続け、大規模な武装蜂起は20数回に及んだ。
このことは中国人民が外国の侵略者には永遠に征服されることはなく、中国の領土は外国の侵略者に永遠に分割されることはないことを明々白々に物語っている」
・・・とのたまうている。
台湾をチベットやウイグルに置き換えればよく分かる。
武装蜂起は、最初の数年であり、日本統治の時代に台湾人民の生活と文化は著しく向上したことは台湾人が一番良く知っている。
こういう嘘を平気でつけるのが、CHINAの歴史観であるから、南京大虐殺など真面目に受け取るほうがおかしいのだ。
(以下、「宮崎正弘さんの国際ニュース早読み」3月28日より)
(読者の声2)
日本人は最近やっと自虐史観から目覚めつつあるようですが、世界史的な視点で見ると欧州人の方が日本を正当に評価していて驚くこともあります。
有名なところでは英国のアーノルド・トインビーの言葉。
「
第2次世界大戦によって、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために偉大なる歴史を残したと言わざるを得ない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかにした点である。」
昭和天皇の時代、欧州で反日的なアピールの多い国といえば英国とならんでオランダがありました。
ABCD包囲網の中で真っ先に脱落しながら、戦後はイギリスの助力でインドネシアを取りもどそうとして返り討ち。終戦後、報復裁判での日本軍将校の処刑も多かった。とくに加賀藩主前田家の末裔、前田利貴陸軍大尉の処刑などあからさまな報復裁判でした。
http://yamano4455.jugem.jp/?eid=9
そんなオランダですが、平成三年、日本の傷痍軍人会との親善パーティーでのアムステルダム市長エドゥアルト・ヴァン・ティン(Eduard van Thijn)氏のことばがあります。以下、動画サイトより。
アムステルダムの光芒【照らされた日本の誇り】
http://www.youtube.com/watch?v=Dx-BBg0AgP4&feature=related
「あなた方日本は、先の大戦で私どもオランダに勝ったのに大敗しました。今、日本は世界一、二位を争う経済大国となりました。私たちオランダは、その間屈辱の連続でした。すなわち、勝った筈なのに貧乏国になりました。戦前はアジアに本国の36倍もの面積の植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で、本国は栄耀栄華を極めていました。今のオランダは、日本の九州と同じ広さの本国だけになりました。
あなた方日本は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分を蔑み、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。
あなた方こそ、自ら血を流して東亜民族を解放し、救い出す、人類最高の良いことをしたのです。
あなたの国の人々は過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦目先のことのみ取り上げ、あるいは洗脳されて、悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って、真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は私たち白人が悪いのです。100年も200年も前から、争って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。
植民地や属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大にして崇高な理想を掲げて、大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。
本当に悪いのは、侵略して、権力を振るっていた西洋人のほうです。
日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。すなわち日本軍は戦勝国のすべてを、東亜から追放して終わりました。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。
日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑むのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです」
親善パーティの参加者全員が感動したのは、言うまでもない。ヴァン・ティン氏はやがて、国民から推されてオランダ王国の内務大臣に選ばれた。
アジア諸国だけでなく、戦勝国の多くの人達も、大東亜戦争における日本の正当性を認めています。
現在、日本に謝罪と賠償を求めている国は、日本と戦っていない共産党中国と南北朝鮮だけです。世界から見ても、日本の「私たち日本が悪」という自虐史観は異常なのです。
すべての日本人が真の誇りを取り戻して、祖国を素直に愛せるようになることを願っています。
オランダをイギリスに置き換えても同じです。インドをはじめとする植民地をすべて失い、中東の油田もアメリカが奪ってしまう。残ったのはアメリカからの膨大な借金でした。
西尾幹二氏の著書でルーズベルトが参戦に積極的だった理由の一つとして、もしイギリスがドイツに敗北するようならばイギリスの権益をアメリカがそっくり頂いてしまおう、という思惑があったのではとしています。
アメリカ独立以来、英米関係は同盟よりも競合することが多いライバル関係でした。中国での権益を日本から奪いたい思惑もあったでしょうが、イギリスの権益に関していえば、戦争に参加しなければ権益の確保もない。
イギリスから覇権を奪うと共に、日本からは共産主義との闘いという重荷を引き継いでしまったのは計算外なのか自業自得なのか、どちらでしょうね。
(PB生、千葉)
(宮崎正弘のコメント)たいへん有益な情報でした。有り難う御座います。
(転載おわり)
シンガポールとインドネシアとベトナムに行ったときに、アジア人が立派に自分達で国を運営できているのは、日本軍将兵の流した血によるものだと思いました。70年前は王侯のように振舞っていた白人の観光客もいましたが小さくなっていました。
ベトナムの展示館ではギロチンを見ましたが、街の市場にもっていって死体入れが一杯になるまで首をちょん切っていたそうです。ゴム園畑では重労働で死んだものは畑にうめて肥やしにしたとも聞きました。かつてアジア・アフリカの全てが同じように白人の奴隷状態だったのを解き放ったのは日本であることは明らかで、後世の歴史家は必ずそう評価するでしょう。戦後もインドネシア独立のために日本兵士が戦ったのは、戦争の大義がアジアの開放でり、日本軍兵士のレベルでもそれを信じていたからでしょう。
エドゥアルト・ヴァン・ティン(Eduard van Thijn)氏は、日本によりオランダ本土の36倍の植民地を失ったオランダ人であるにも拘らず、歴史を正しく評価しているのはさすがにヨーロッパに知性であり、CHINA・KOREA人には到底まねの出来ない歴史観です。
(以下、壌 晴彦さんのツイッターから)
僕らは今、未曾有の言語崩壊に直面している? 痩せ、乾涸び、軽量化した言葉。当然「精神」もそうなる。国家や政治や経済、そして民族や美学…重いテーマが軽過ぎる言葉で語られている。
分かり易いことは絶対善ではない。高度な語彙でなければ語れぬ事もある。学べ。日々己の語彙を増やし続けよ。
昔学んだ。「フランスで最も誇り高い職業は?」 料理人、ファッションデザイナー…幾つも答えが出た。
正解は「俳優」…国民が世界一美しいと自負しているフランス語を、最も美しく語る職業だから。リッチかどうかじゃない。もう一つ…「俳優はその国の言語の番人」…そのつもりで日本語をやろうよ。
壌 晴彦さん
演劇人。演出、俳優、声優。劇団四季を経て現在、演劇倶楽部『座』を主宰し詠み芝居を定期公演。主な出演舞台:「テンぺスト」「卒塔婆小町」「ルドルフ」他。アテレコ:「ライオンキング」(スカー)「パイレーツオブカリビアン」(バルボッサ)他。日本朗読文化協会顧問。演技.朗読のためのワークショップを実施中。
(引用おわり)
その通りだと思う。日本人が斯くも薄っぺらになったのも終戦後、GHQによって国語が破壊されたからだ。かつての少年倶楽部をみればその語彙は比べ物にならないほど多く、子供に媚びていない。ただし、漢字には全てフリガナが打ってある。早く大人の言葉を覚えよという姿勢だ。
恥ずかしながら、私も父の本棚の本は読めない。日々己の語彙を増やし続けう。
俳優ではないが、芸能人やスポーツ選手がスーパーには「食べ
られない」と出ているが、「食べれない」と「
ら抜き」で話すのはどうしても気になる。彼等の世界では「食べ
られない」と話したら、むしろ白い眼で見られるのかしら。
(以下、産経新聞3月2日より)
■【正論】 男系重視と矛盾する「女性宮家」
日本大学教授・百地章 「女性宮家」問題について、2月29日、1回目の意見聴取が行われた。この問題については2月9、13の両日の衆議院予算委員会でも、自民党の稲田朋美議員と下村博文議員が質問している。
≪画期的な野田首相の答弁≫ 質問に対して、
野田佳彦首相は「古来、皇位継承が男系で続いてきたことの歴史的な重みをしっかり受け止める」と答弁した。これは画期的といえよう。
従来の政府見解は、憲法第2条にいう「皇位の世襲」は「男系継承を意味する」というものであり、これは憲法制定議会からの一貫した解釈であった。
にもかかわらず、
平成13年、突然、政府見解を逸脱し、「男系でも女系でも構わない」と述べたのが、福田康夫官房長官である(拙稿「『皇位継承』の憲法解釈と『女系天皇』への疑問」『別冊正論』14号)。
しかし、これは
その後、安倍晋三官房長官によって「男系継承の伝統を重視すべきだ」と修正され、今回の首相答弁に繋がった。
したがって、今回の野田首相答弁は重く、「女性宮家」創設問題も「男系重視」と矛盾するものであってはならない。
≪「女系」への道開く懸念あり≫ 問題の発端は、羽毛田信吾宮内庁長官が野田首相に対して、陛下のご公務の負担軽減のためとして、「女性宮家」の創設を要請したことにある。確かに、陛下の今回のご入院やお年のことを考えれば、ご負担の軽減は遅きに失した。ただ、それが直ちに「女性宮家」に繋がるとは思われない。
まず、皇室にとって最も大事な祭祀(さいし)については、陛下のお考えを最大限尊重申し上げるべきである。しかし国事行為については「代行制度」があり、皇太子殿下や秋篠宮殿下にお願いすることも可能である。問題は国事行為以外の公的行為(象徴行為)であろうが、中には、国会開会式でのお言葉など極めて重要なものから、民間行事へのお出ましまである。
ご公務の増加は、主にこの民間行事へのお出ましによると思われるが、その場合、整理縮小は宮内庁の役割である。そうした努力も不十分なまま、ご負担軽減のためと称して「女性宮家」を云々するのであれば本末転倒であろう。
「女性宮家」については、「陛下のご意向なしに、長官が発言するはずがない」との説もある。しかしこれは「臆測」にすぎず、朝日新聞の岩井克己記者によれば、
羽毛田長官は「女性宮家の創設が陛下のご意向」であることを強く否定しているという(週刊朝日平成23年12月30日号)。
ちなみに、
長官は女系天皇推進派といわれ、以前、男系維持のお考えを述べられた寛仁親王殿下に対して「皇族は発言なさるべきでない」との言を吐いた人物である。
他方、
内閣官房参与に任ぜられた園部逸夫元最高裁判事も女系容認論者であり、『皇室法概論』の中で「世襲は男系でも女系でも構わない」と主張している。
しかも、政府は、「私や皇太子の意見も」と述べられた秋篠宮殿下からさえお考えを聞こうとしない。これでは、「初めに結論ありき」と言われても仕方がない。
しかも、
最初に伝えた読売新聞によれば、宮内庁側は、女性宮家問題を陛下のご負担軽減だけでなく、「安定的な皇位継承」や「皇位継承者の確保」のためと説明している(平成23年11月26日付)。
報道通りだと、女系推進派は「女系宮家」から「女系天皇」まで視野に入れており、「皇位継承問題とは別」という説明はまやかしとなる。となれば、「女性宮家」の創設は「男系重視」の首相答弁と明らかに矛盾する。
≪旧宮家の男系男子孫を皇族に≫ 「女性宮家」の創設に積極的な渡辺允前侍従長は、「皇統問題は次の世代に委ねて…」と述べている。しかし、この「棚上げ論」も危険である。大多数の国民は、女性天皇と女系天皇の区別さえできておらず、いざとなれば、人情として「お子様も皇族に」と、さらには「皇位継承権も」と言いだす恐れが十分にあるからである。
そもそも「宮家」は皇位継承の危機に備えるものであって、室町時代以降は「伏見宮」「桂宮」「有栖川宮」、それに「閑院宮」の4宮家(世襲親王家)によって2千年に及ぶ皇統が支えられてきた。この4宮家から、3方の天皇が即位されており、戦後、GHQの圧力の下、臣籍降下させられた旧11宮家は、これらの家系に属する。 となれば、将来にわたって陛下の「ご公務をお支え」し、「皇位の安定的継承」にも資する最善の方法は、旧11宮家の男系男子孫による「宮家」の創設や「現宮家」の継承しかなかろう。
幸い、旧宮家には独身男子が9人、悠仁親王と比較的近い世代に属する未成年男子だけでも4人おられる。 女系推進派はいろいろ口実を設けて、これらの方々をあくまで排除しようとしている。しかし、
一般民間人なら誰でも良いが、皇統に繋がる由緒正しき方々が皇族となられることは認めないなどといった主張がいかに異常か、なぜ気が付かないのだろうか。(ももち あきら)
(引用おわり)
先日の「たかじんのそこまで言って委員会」で、三宅さんが所某なる皇室専門家を戦後憲法に毒されていると言ったら、「それでは側室がもてますか?」とか頓珍漢なことを口走り、「毒されていると言う発言を取り消せ」だの反論していたが、なぜ、GHQにつぶされた宮家の復活を言わないのか不思議でならない。元に戻せば良いだけの話だ。それを女系天皇だ女性宮家だの言うのは、まさに三宅さんの言うように戦後に毒されているか、何か別の企みがあるのではないかと疑う。
ましてや男女共同参画とかいう話ではあるまいに。カトリックの司教に女性は絶対になれない。ユダヤ教もそうだという。なんで所某が上品なのか分からない。外見に騙されてはいけない。
仮に女性宮家を作ったとしても絶対に一代限りでなければならないが、この時点で政治利用しようとする輩が出てくるに違いないから、正当性の問題で必ず混乱する。であるから、皇室は男系で続いてきたのだと思う。
とすれば、先人の知恵にならい旧11宮家を復活させるのが一番良いと考える。
(以下、「宮崎正弘さんの国際ニュース早読み」2月13日より)
(読者の声1)敗戦にいつまでもこだわる日本人に、以下感想です。
1.対米戦争に勝ち目なし:なぜなら軍事情報では、日本暗号は米側に解読されており、兵器では原爆を開発していたからです。それでなくても国力が違い、東西の2正面作戦を強いられた日本には勝算はなかったのです。政治家も軍人も皆勝てない戦争であることは知っていました。
2.戦争の理解の浅さ:
日米戦争は、負ける戦争でした。それでも人間は自由と独立を守るためには戦います。これが分からない人には、戦争を理解することはできません。
いつも私が例えるのは、
娘を連れた父親が大男に襲われた時逃げるか、ということです。
ベルリン陥落時、ドイツ人父娘がソ連兵に襲われました。抗議した父はたちまち撃ち殺され、娘は散々ソ連兵に輪姦されました。その娘は今は老女ですが、自分を守ろうとして殺された父を尊敬していると語っていました。負けるから娘をおいて逃げると言うのが今の日本人の考えです。
3.敗戦の受け止め方:戦争末期にドイツに滞在した日本人技術者は、あるドイツ軍人が、この戦争は負けるかもしれない。しかし
我々ドイツ人は雑草である。かならず復興する、と述べたと記録しています。昭和天皇がご指示された臥薪嘗胆です。
クライン孝子先生もドイツ人は奪われものは、取り戻せばよい、と考えていると述べています。我々も同じです。また立ち上がればよい。そうすれば敗戦は勝利にかわるのです。
4.戦争の負け方を知らず、帰らぬ過去にいつまでもこだわり、レバタラの妄想に遊ぶのはもう止めたい。先人非難はその延長である。それより日本再建である。子供たちが現に敵に襲われ誘拐されているのだから。我々は戦後何をしてきたのか。
(東海子)
(転載おわり)
日本人もドイツ人と同じように復興した。スターリンは蒋介石の息子蒋経国に「ドイツも日本も必ず復興するであろう。民族には固有の力というものがある」といったそうです。
ただ、戦争を戦った大正世代が現役を退いたころから、民族の力が落ちているようにみえる。奪われたその力を、自分たちの力で取り戻さなければならない。
(以下、西村真悟の時事通信1月23日から転載)
極東国際軍事裁判(東京裁判)と日本国憲法 本時事通信が間遠になっているので、本年に入り、空いた時間に何に取り組んでいるかをお伝えする意味で、去る、二月二十一日、難波神社で行われた「大和心のつどひ」で話したことがらのなかから、以下、東京裁判と日本国憲法の関連について述べておきたい。
我が国の戦後を考える場合、まず第一に念頭に置いておくべきことは、我が国を軍事占領した占領軍のトップである連合国最高司令官マッカーサーというやつが、非常に嫌な、歪な性格の人物だったということである。
もともとマッカーサーは、卑劣な復讐心と自己正当化の衝動が非常に強いのだが、こういう性格の男が、我が国の第十四軍によってフィリピンのバターン半島に追い詰められ、昭和十七年四月、コレヒドール島から部下を見捨てて自分だけ命からがらオーストラリアに逃げた。
これで、さらにどれだけ、性格が歪になるか。 日本軍によって、軍人として世界に恥を晒
すことになったこのマッカーサーが、こともあろうに、我が国を占領する連合国最高司令官になって昭和二十年九月、コレヒドール島から乗って逃げたB17、その名も「バターン号」に乗ってきて厚木に降り立ったのだ。
このマッカーサーが、日本に来て為そうとしたことは、
「復讐を実行しつつアメリカは正義で日本は不義だと世界と日本人に刷り込むこと」である。
その為に、彼が実施したのが東京裁判と他の多くの戦犯裁判だ。 そこで、これらの裁判では、起訴状は連合国側つまりマッカーサー側が提出するのであるが、日本側からもその起訴状を補強し裏付ける文書が必要だと彼とその幕僚(コミンテルンのフロント達)は考えた。
そして、その為の文書として日本国憲法がつくられた。
彼は自分が屈辱を受けたフィリピンの二人の将軍に対して、襲いかかるように復讐する。 かつて緒戦でシンガポールを陥落させた
マレーの虎といわれた猛将の山下奉文大将は、フィリピンで投降したが、この山下大将に対して、
マッカーサーは、日本に来た翌月の昭和二十年十月二十九日に裁判を開始し、同十二月七日判決で翌昭和二十一年二月二十三日に軍服も着せずに絞首して殺している。
次は、マッカーサーをコレヒドール島から追い出した昭和十七年の第十四軍司令官本間雅晴中将に対して、
昭和二十年十二月十九日に裁判を開始し、
翌二十一年二月十一日判決、
同四月三日午前0時五十三分死刑執行。
この本
間中将に対する判決日は紀元節二月十一日である。
そして、
死刑執行の日と時間は何か。
四年前のその日、その時間、即ち、本間雅晴第十四軍司令官は、バターン半島に立て籠もって頑強に抵抗するマッカーサーを司令官とするアメリカ軍にたいし、昭和十七年四月三日午前0時五十三分、総攻撃を下命した。
マッカーサーは、その日のその時刻に、本間雅晴中将を殺害したのだ。つまり、私怨を晴らした。
私が、冒頭に、マッカーサーは実に嫌な奴だと書いた理由がお分かりいただけたと思う。
それともう一つ、
マッカーサーの癖が既に顕れている。
それは、日付けにこだわる、ということだ。本間裁判の判決日、死刑執行日がそれだ。
この山下、本間両将軍が死刑になるなら、日本軍と戦ったアメリカ軍の全ての将軍も死刑でなければならない。アメリカ軍は日本の民間人を殺す目的で軍事行動をしていたからである(サイパン、沖縄はおろか東京、大阪、広島、長崎を見られよ)。更に、ベトナム戦争におけるウェストモーランド統合幕僚長も間違いなく絞首刑だ。
にもかかわらず、マッカーサーが後に書いた「回顧録」には、自分が行った裁判は完全に正義に基づくものだったと強弁している。特に、本間中将の妻が、東京でマッカーサーに、「夫の助命嘆願をしているのではない、裁判記録に自ら目を通してほしい、そうすれば何を為すべきかお分かりいただけると信じている」と願い出たことに関しても、よくもまあぬけぬけと嘘がつけるなあ、と思うほど誤魔化している。
以上の通り、マッカーサーの、恨みのフィリピンにおける二人の日本軍の将軍に対する措置とその時の癖を述べた。 このことを念頭に置いて、次の日付けを見ていただきたい。
東京裁判に関して 起訴、昭和二十一年四月二十九日(天皇誕生日)
審理開始、同五月三日
判決、同二十三年十一月十二日
死刑執行、同十二月二十三日(皇太子誕生日)
日本国憲法に関して 公布、昭和二十一年十一月三日(明治節、明治天皇誕生日)
施行、同二十二年五月三日(東京裁判審理開始日)
フィリピンの本間中将裁判であれ、東京裁判であれ、精根尽きた敗戦後に日本国民が初めて迎える紀元節の天長節(天皇誕生日)にそれぞれ判決をなし審理を開始している。
そして、連合国最高司令官司令部(SCAP)において、
東京裁判と日本国憲法制定が、ばらばらに進行していたのではなく、両者は不可分のものとして同時並行させていたことは、日付けから見ても明らかである。
東京裁判の審理開始の日から一周年の同じ日が、日本国憲法施行日とされている。
さらに、その内容は、先の述べたように、
東京裁判の起訴状を日本国憲法が補強し裏付ける関係に立つ。
日本国憲法の特に「前文」を読まれたし。
前文は、日本を戦前と戦後に分断し、戦前は「人類普遍の原理に反する」と宣言している。
このことを更に裏付ける文書がある。それは、GHQの30項目にわたる検閲指針である。
この検閲の根拠は、
GHQの発した放送遵則と新聞遵則であるが、驚くべきはその遵則の内容だ。
それは、冒頭、「連合国最高司令官(マッカーサー)は、日本に言論の自由を確立せんが為に・・・」とその目的を掲げ、第一として「報道は厳に真実に即する旨とすべし」と定めていることである。
連合国最高司令官は、日本に言論の自由を確立するためと厳かに宣言しながら、日本の言論の自由を根絶やしにする完璧な検閲を密かに実施していたのだ。
何度でも言うが、マッカーサーほど嫌な奴はいない。そして、彼に率いられた幕僚達、彼等の本国に帰ってからの「生き方」を知る必要がある。
如何なる人間であったのかが分かるからである。鼻持ちならん奴であったことは推測できる。
次に、この検閲指針を三十項目全て掲げておく。
その理由は、未だに我が国の言論は、この検閲指針通りに自己規制しているからである。
従って、今こそ、この検閲指針を熟読吟味する必要がある!
そもそも、現在に至るまで、学校で、日本人が日本国憲法を書いたと教えているのは、この検閲指針が今も生きて機能しているからである。
安倍元総理が、菅直人のアホに質問されて、「宣戦の詔書」に祖父の岸信介国務大臣が副署したことは過ちであったと答弁してしまったのは、この検閲指針が未だに生きているからだ。
以前私がテレビで、日本を何時までも朝から晩まで非難し続け、時に日の丸を焼いて気勢をあげる朝鮮人や韓国人を日本人は到底好きになれない、と当然のことを言っただけで、スタジオの皆から「レッドカード!」と非難されたのも、この検閲指針が生きているからだ。
本稿の主題である東京裁判と日本国憲法の関連については、検閲指針の①、②、③、④を見られたし。
語るに落ちるとはこのことである。
まことに、無念ではないか。
検閲指針
①連合国最高司令官司令部(SCAP)に対する批判、
②極東軍事裁判批判、
③SCAPが日本国憲法を起草したことに対する批判、
④検閲制度への言及、⑤合衆国に対する批判、⑥ロシアに対する批判、⑦英国に対する批判、⑧朝鮮人に対する批判、⑨中国人に対する批判、⑩他の連合国に対する批判、⑪連合国一般に対する批判、⑫満州における日本人の取り扱いに付いての批判、
⑬連合国の戦前の政策に対する批判、⑭第三次世界大戦への言及、⑮ソ連対西側諸国の冷戦に関する言及、⑯戦争擁護の宣伝、⑰神国日本の宣伝、⑱軍国主義の宣伝、⑲ナショナリズムの宣伝、⑳大東亜共栄圏の宣伝、21その他の宣伝、
22戦争犯罪人の正当性及び擁護、23占領軍兵士と日本女性の交際、24闇市の状況、25占領軍軍隊に対する批判、26飢餓の誇張、27暴力と不穏の行動の扇動、28虚偽の報道、
29SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及、
30解禁されていない報道の公表
(転載おわり)
情報操作による刷り込みほど恐ろしいものはない。西村さんが言うように戦後67年も経つのに、日本人は自己検閲によって網をかぶせられている。占領軍が事前検閲から事後検閲にしたことにより、自己検閲が定着したという説がある。お金をかけて出版した後に、発禁になったら損害が莫大になるからだ。
象が足を鎖でつながれると、鎖を解かれてもその範囲しか行動しないというが、日本人も同じような状況にある。
我々はことの真実を知ることによって呪縛から開放されなければ、これからの100年も自由も独立もないだろう。
(以下「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 成24年 1月10日から)
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連載 正気をうしなった日本
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/p20.htm(文天祥の正気の歌)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/jpn15.htm(藤田東湖の正気の歌)
(編集部より: 弊誌パソコンの語彙の少なさにより作字個所が判別不能のケースが多く、上二つのサイトに全文があります)
連載 第四回 正気をうしなった日本 宮崎正弘
▲西郷隆盛はなぜ決起したのか 西郷隆盛命を祀る西郷神社は鹿児島市内の高台にある。南州墓地に隣接し、錦江湾を見下ろす。
墓地の陣形をみてぞっとなった。若き日に、最初に訪れたときは名状しがたい震えがおさまらず、十数年を経て二度目に参詣したときは穏やかな春の日だったにもかかわらず鬼気迫る悽愴な雰囲気が漂っていた。
我が師林房雄は畢生の大作『西郷隆盛』を残したが、けっきょく、西郷の人生は謎のままとして余韻を残した。
南州墓地の構造的なかまえは恰も西南戦争の西郷軍の布陣、中央にある西郷の墓の右に桐野利秋、左が篠原国幹、以下最後まで西郷と行動を伴にした村田、永山、池上、別府、辺見ら烈士七百四十九体が眠る。
かれらは敗北必至であるにもかかわらず、新政府に「尋ねたきこと之有り」とした西郷の動かされ自ら死地に赴いた。後世の歴史に「その刻印」を、すなわち正気を伝えるために起った。
西郷その人とて私学校の生徒らが弾薬庫を襲ったときは鹿児島に不在であり、狩り犬とともに野良着をきて近郊の山麓にあった。
西郷は暴発した生徒らとは無関係であると主張すれば、事件は小さな窃盗事件として片付けられたかもしれない。
しかし西郷は学生の暴走に呼応するかのように起(た)ったのだ。それは死をもろともしない、歴史における正論を鮮明に後世の記憶に残すためであり、合理主義や科学で、西南戦争の意義をとくなどと賢しらな歴史家の言はあまりにも現代的衒学である。
湊川に散った楠正成も、庶民の困窮を見かねて起った大塩平八郎も合理主義では説明できない義挙であり、日本の悠久の歴史の美を求めて散華した。
▲はじめから軍事的勝利を計算にいれていない やや冷静に西南戦争を客観視するなら、万一の僥倖がのぞみえたのは挙兵した部隊を熊本を素通りさせて福岡、長崎をおさえ、一挙に船舶を確保して大阪へ攻め上る手段があった。その緒戦の勝利を目撃すれば各地の不平浪士らが西郷軍に合流する可能性はあった。勝利の蓋然性は極端に薄いとはいえ、民衆は西郷軍に味方していた。軍費不足を西郷札を印刷して物資を調達したときも付近の農家は西郷札を受け取ったように。
しかし政府軍は豊富な軍事金と軍備を背景にして八代から上陸して西郷軍の兵站を絶ち、小倉からは支援部隊がかけつけ、田原坂の激戦ではやくも挙兵側の敗北はみえていた。田原坂で篠原国幹、西郷小兵衛らが戦死した。
だが
、兵力の差がかくも歴然としていたとはいえ、政府軍は簡単に西郷軍を砕けなかった。優秀な火力をもってしても西郷軍の抜刀隊の鬼神を脅かすほどの殺気に怖じ気づいた。
朝敵と位置づけて殲滅を鼓舞する新政府に、正統性があるかどうかは不問に付すとしても、西郷討伐軍には、東京にいた薩摩出身者は参戦を潔しとせず、結局は戊辰の敵として警視庁にくわわった旧会津藩士らの合流あって、軍略が成立した。
やがて官軍は辛勝するが、その西郷軍への精神的負い目を覆すことは不可能だった。はたして西南戦争は政府軍からしても正義の戦争だったのか?
後の「抜刀隊」の歌は、官軍の士気を鼓舞する歌であるにもかかわらず敵を褒め称えてやまないのである。
♪
我は官軍わが敵は
天地容れざる朝敵ゾ
敵の大将たるものは
古今無双の英雄で
これに従う強者は
共に飄悍決死の士
鬼神に恥じぬ勇あるも
天の許さぬ反逆を
興せしものは昔より
栄えしためし有らざるゾ
敵の滅ぶる其れまでは
進めや進め諸共に
玉散る剣抜きつれて
死ぬる覚悟で進むべし
敵を「古今無双の英雄」とたたえ、それでも朝敵であるがゆえに進めと鼓舞しているのだから官軍側もまた凄惨にして悽愴である。
「賊軍をおのれの鏡とした。この倒錯した感情こそ、勝利は敗北のイロニィであることをあらはしてゐる」(桶谷秀昭『草花の匂ふ国家』(文藝春秋))
かくて南州墓地には正気が満ち溢れて日本を見つめている。
ーーいったい、いまの日本人はなぜここまで劣化したのか、と。
江藤淳は晩年の『南州残影』(文春文庫)のなかにこう書いた。
「西郷南州は思想である。この国で最も強固な思想である」 そして南州墓地に立って、かく述べる。
「桜島の噴煙と相対峙するこの場所から、西郷隆盛、篠原国幹、桐野利秋以下が、麾下の軍勢を卒き連れて、今にものっしのっしと進軍を開始しそうな幻想に囚われる。桜島をはるかに越え、遠い南瞑の海に向かって、その幻の大軍団の進軍はつづけられる」
西南戦争の前年におきた神風の乱、秋月の乱の戦死者の墓地にも参ったことがあるが、いずれも戦争態勢の陣形、指揮系統に沿って墓地の位置が決められている。
南州墓地にたつと正気がひしひしと蘇る、あの霊気を感じるのである。
(転載おわり)
鹿児島勤務のときに一度お参りしましたが、近々、薩摩の西郷神社を再訪したいと考えます。
(以下、「宮崎正弘さんの国際ニュース早読み◆BOOKREVIEW」1月4日より)
熱血の詩が語りかける日本の精神の復活、その霊気
被災地で、硫黄島で英霊の「気」に打ち震え、決意新たに祖国を思う
青山繁晴『ぼくらの祖国』(扶桑社)@@@@@@@@@@@@@@@@

日頃まったくテレビを見ない評者(宮崎)にとって、この著者は初めて知る詩人である。『詩人』と書くと「なにを見当違いなことをいうのか」と不思議がられそうだが、この本を読んで、まさしく東日本大震災、硫黄島、拉致問題を論じながら、この著作そのものが一篇の叙情詩になっていると思った。
平明な叙述だが、言葉に力がこもり、詩的なリズムを秘めているからである。
硫黄島は激戦地、いまも日本の領土なのに立ち入り禁止である。天皇陛下ご夫妻の訪問と慰霊が実現したのは平成四年になってからだった。
青山さんは硫黄島へ飛んだ。防衛庁と何回か交渉を繰り返しても、全島を自由に歩き回ることは許可が下りず、一部の場所へしか案内されないという条件を示されてきた。そのやりとりも自衛隊幹部との怒鳴りあいが数回、それならボートで島に近づき泳いで上陸しようかとも考えて、すっかり諦めかけた。
クリント・イースウッドが監督した映画「硫黄島」のことをフト思い出した。あの映画を作ったプロダクションに問い合わせた。「いったい、ロケ隊は硫黄島へ上陸したのか。ロケはどこで行われたのか?」
すると日本のジャーナリストでも制限付きなのに米国はライス国務長官じきじきの要請で特別にロケを認めたというではないか。「硫黄島は日本の主権にある、わが領土ではないのか」と怒気が沸き上がる。
ある日、青山さんが出演しているテレビ局が企画を立てた。取材ジェット機を保有する局が硫黄島の特集を行うと言うのである。青山さんは、かくして硫黄島へ飛んだ。
壮絶な体験が始まった。
「狭い機中の左側の窓際に、壁に身体をくっつけて座っていた(中略)。その瞬間、両足の間から、座っている足の間から、ものすごい数のなにか、百とか千ではなく、万を超える数の何かが入ってきて、ぼくの目や口から、うわぁっと抜けていった。何がおきたか分からない。声が聞こえた。戻せ、戻せ、帰せ、帰せという声がどっと体内で響いて、さっとすべて消えた」
これは幽鬼、あるいは鬼気、その英霊たちの魂の叫びである。評者もじつは同様な体験を何回かしたことがある。
一番強烈な霊的体験は会津白虎隊の少年らが眠る飯森山墓地でお参りし、帰京した夜だった。ものすごいエネルギーを秘めた数百数万の魂の粒子のような鬼気がどっと迫り、そしてすっと消えた。震えがきたが、未知の、呪われた霊気への懼れではなく、なにか名状しがたい、悟ったような気配があった。
青山さんが硫黄島へ着陸して、ジェット機からしばし降りられなかった。「なぜか両足が凍り付いたようになって動かない。(中略)自衛隊、海上保安庁、そして在日米軍が使っている
(硫黄島の)滑走路の正体は、1945年3月、硫黄島の戦いの真っ最中に、日本兵の亡骸を収用することなく、弔うことなく、その顔の上に、胸、腹、足の上に直接、アメリカ軍がコンクリートを流し込んで造った滑走路だ」からである。返還後、じつは滑走路の一部だけがはがされ、遺骨の一部だけが収集されて、後は『便利だから』と理由で使用され続けた。
しかしなんとか機から滑走路へ降りた青山さんは、「降りて、土下座をした。土下座は生まれて初めてだった。滑走路のコンクリートを撫で回して、手のひらをじっと当てて『この下にいらっしゃるみなさまがた、こころから申し訳ございません。なんと言うことか、皮肉なことにアメリカ人の映画監督が思いださせてくれるまで、ぼくたちは、皆様のことを忘れていました。なんと言うことでしょうか。ようやく、目が覚めて、やっとここに参りました』と小さな声にだして話しかけた」
現地に駐在する自衛官、建設土木関係者が凄絶な体験を淡々と話すという。
「(島では)半透明のような帝国軍人と昼も夜も暮らすことになる」だから「昼ご飯を食べていると、隣で、帝国海軍の士官も昼ご飯らしいものを食べているのです」「夜寝ていると、寝台の下で帝国軍人もお休みになっています」硫黄島から帰って一年後、青山さんは栗林中将の遺族から六十三回忌に招かれ講演を頼まれた。
気がつながったとしか思えない劇的な出来事が続いた。
だから言う。この本はいっぺんの叙情詩である、と。
(転載おわり)
昨年、福岡県小郡市であった青山さんの講演会でこの話を聞かせていただいた。
青山さんは実にエネルギッシュな方で立ち見が出るほどの約2000人の聴衆を前に、4時間以上も話し続けられた。それでも時間が足りないと言っていた。
硫黄島の塹壕の悲惨な話、栗林中将の最後の姿が写真に写っていた話なども聴いていて涙が出た。硫黄島の帝国軍人は家族持ちの年配の召集兵が多かったにもかかわらず、最後まで壮烈な戦いをされたので特に「帰せ戻せ」の怨念が強いのかもしれない。
佐藤元空将からも、島から戻る空自の輸送機は空にもかかわらず重く、かつざわざわと話し声がするという話を聞いた。後ろの空室にいって「皆様ご労様でした」と敬礼すると、話し声は止み輸送機も軽くなるという。
硫黄島は別の滑走路を作って、現滑走路ははがして遺骨収集すべきだ。菅のように手袋をしてのおざなりの遺骨収集では、英霊の怒りは収まらない。
(以下、産経新聞12月23日より)
■日中正常化、外交文書公開 日本の軍国主義復活、懸念 
日中国交正常化交渉に臨む田中角栄首相(中央)と中国の周恩来首相(右端)=昭和47年9月27日(共同)
■田中元首相「声明に盛るなら帰る」 外務省は22日、昭和47年の日中国交正常化や沖縄返還交渉などに関する外交文書を公開した。国交正常化関係では、中国政府が日中共同声明への調印直後も「軍国主義」という言葉を執拗(しつよう)に用い、日本への警戒感を示していたことが明らかになった。中国のこうした言動が現在の日中関係にも暗い影を落としている。
外務省の極秘文書によると、
周恩来首相と姫鵬飛外相は48年5月、中国訪問中のルクセンブルク外相に
「日本経済はあまりに拡大し海外に対する資源依存度が高いので、中国としてはこれが日本軍国主義の復活をもたらすことを懸念している」と発言した。
同年4月には中国の外務次官がカナダの資源相に
「日本は資源を外国に依存しなければならない経済をもっているので、窮すればアジアなどにおいて軍国的方向に歩む可能性は否定できない」と語っている。
日中共同声明は47年9月29日に田中角栄首相、周氏らによって北京で調印されたが、ルクセンブルク外相らへの発言はその後1年もたっていない。
「軍国主義」をめぐっては、田中、周両氏が47年9月25~28日まで4回にわたって行った国交正常化交渉でも取り上げられた。
27日の第3回首脳会談で周氏は「過去の歴史から見て、中国側では日本軍国主義を心配している」と発言。田中氏は「軍国主義復活は絶対にない。軍国主義者は極めて少数である」と応じ、自ら掲げた日本列島改造計画も説明し「軍国主義復活のために使うお金はない」と反論している。
中国の「軍国主義」へのこだわりは、26日の外相会談で姫氏が大平正芳外相に渡した声明案からも分かる。「日本国政府は、過去において日本軍国主義が中国人民に戦争の損害をもたらしたことを深く反省する」と明記していた。
大平氏は27日の非公式外相会談で反論した。大平氏は田中氏から「自分は軍国主義者も共産主義者も含めて日本国民全体を代表してきているのだから、『軍国主義』をうんぬんして国民の一部を非難することはできない。『軍国主義』という言葉を入れるぐらいなら帰る」と言われていたからだ。この「帰る」発言は今回開示された48年2月1日付の外交文書で判明した。 結局、共同声明は「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」との表現で決着し
、「軍国主義」という言葉は使われなかった。 もっとも、中国側はこの言葉にこだわり続けた。国交正常化35周年の平成19年4月に来日した温家宝首相は、国会演説で先の大戦について「責任は少数の軍国主義者が負うべきで一般の日本国民は戦争の被害者だ」と語っている。
【用語解説】日中共同声明
日本、中国(中華人民共和国)両政府が国交正常化のため、昭和47年9月29日に北京で調印した文書。日本が過去の戦争で中国に与えた損害について「責任を痛感し、深く反省する」と表明。中国は戦争賠償の請求放棄を宣言した。
(引用おわり)
周恩来の心配は、そのまま現在の中国に当てはまる。CHINAには資源がないから、海外資源獲得のために軍国主義に走っている。彼らの考えは明快単純で、サバイバルの原理から発している。しかし、国際社会の底流には常に、この資源・エネルギー・食料を如何に確保するかの安全保障の命題がある。
戦後、日本は超大国アメリカの陣営にいて、なんとか資源・エネルギー・食料を確保できたが、もし、戦略を誤れば、その確保のために生存をかけることになる。
それにしても、大平さんくらいまでは、国家を背負っていると言う気迫が感じられる。例えば、鳩山・菅の顔を思い出せば(思い出したくもないが)、その人相は同じ民族かと思うほど軽薄だ。