「よい日本人」 橋本信一郎
先日、参議院予算委員会での中山恭子議員と麻生副総理の「日本文化の底力」についての質疑を見た。元大使でもあった中山議員によると日本とは無縁に見えるウズベキスタンは非常に親日的な国だという。実は、この国では終戦後ソ連によって強制連行された二万五千人の日本人捕虜が劇場、鉄道、発電所等の建設に従事させられていたのである▼麻生副総理はこの国を訪れた時、カリモフ大統領から聞いた話を次のように紹介した。終戦時、大統領はまだ子供であったが、週末毎に母親に日本人の働く現場に連れて行かれ、いつも「ご覧、あの日本の兵隊さんを。ロシア兵が見ていなくても働く。お前も人が見ていなくても働く人間になれ」と言われた。そして「俺は母親の言うことを守って大統領になれた」と語ったそうだ▼当時造ったナヴォイ劇場は一九六六年の大地震で首都が壊滅した中で無傷で残ったので「日本人は手抜きをしない」という評価が改めて広がったという。この捕虜たちが帰国の見通しもない中で陰日向なく働いたことが今日の日本とウズベキスタンの関係の基礎になっていることは間違いない▼この捕虜たちは当時のあらゆる階層の普通の日本の若者であるが、なぜ陰日向なく働いたのだろう。ソ連に無法に連行されたのだから一生懸命働く義理は全くないのである。この質疑を聴きながら、今の日本人だったらどうするであろうかと考えてしまった▼今は九〇歳前後となられた当時の若者たちに聞くと「当時は『修身』があったからな」というお話があったので尋常小学校修身教科書(四年生)を調べてみた。目次には「勤労」「信義」「誠実」「博愛」等二十七項目があるが最後の「よい日本人」の項に「(略)大きくなっては志を立て、自立自営の道をはかり、忠実に事にあたり、志を堅くし、仕事にはげまねばなりません。けれどもよい日本人になるには至誠をもってよく実行することがたいせつです。至誠から出たものでなければ、よい行のように見えてもそれは生気のない造花のようなものです」とあった▼今でも日本人は手抜き工事や造花のような外華内貧を本質的に嫌う。その背景には至誠という「日本文化の底力」があったのかと改めて教えられた。